こんにちは。駒沢大学駅前の買取専門店『ゴールドパーチェス』です。
朝晩は少しずつ涼しさを感じるようになりました、みなさまはいかがお過ごしでしょうか?
秋の訪れが待ち遠しいですが、まだまだ暑さが厳しいので体調にはお気をつけください。
さて、本日は人間の進化や時代と共に形、原料、価値を変えていった通貨、その歴史や種類についてご説明させていただきます。

中国古銭
中国では殷(いん)の時代に貝貨経済が始まりました。当時は、たから貝または子安貝(こやすがい)と呼ばれる貨幣が使用されていました。貝貨(ばいか)や貝幣(ばいへい)とも言われていたようです。
貨幣・経済に関する漢字、『貨』『買』『販』『財』『費』『貿』などに「貝」の文字が使われているのも古代中国でたから貝(子安貝)が貨幣とされていましたがこの時代になるとたから貝の他に鼈甲(べっ甲)などの亀甲も貨幣として使われていました。貝貨は春秋時代まで使われていました。
春秋時代では青銅器の大量生産が可能になり青銅器製の農機具や武器、祭器などの生産力も高まって、製塩や製鉄などの商工業も発展した為、青銅器自体の使用価値が上がり貨幣は貝貨から青銅で作られた貨幣が使われるようになりました。青銅貨幣の誕生です。
春秋戦国時代の青銅貨幣には晋(しん)斉(せい)韓(かん)魏(ぎ)趙(ちょう)燕(えん)で使っていた布貨(ふか)。布銭、布幣とも呼ばれていました。布貨は鋤(すき)の形をしています。斉、趙、燕では刀貨(とうか)、刀銭とも呼ばれていて包丁のような形をしています。楚(そ)で使っていた蟻鼻銭(ぎびせん)銅貝に字が刻まれたもの。
秦(しん)韓、魏、趙の戦国時代中期以降に使われていた圜銭(かんせん)、円形に丸い穴が開いた円形円孔貨、正方形の穴が開いた円形方孔貨が使われていました。秦の時代になり始皇帝は中国統一を果たすと各地で使われていた貨幣がばらばらだった状況を見て秦(しん)で使われていた硬貨の形を統一し重さも半分にして半両銭(はんりょうせん)と名付けました。時代は進み、五銖銭(ごじゅせん)開元通宝(かいげんつうほう)宋銭(そうせん)明銭(みんせん)清朝銭(しんちょうせん)と様々な古銭が時代と共に生まれました。

種類
貝貨(ばいか)
貝殻の一種でタカラガイが多く使用されていました。産地としてはインド洋のモルディブ諸島、ラッカディブ諸島、フィリピンのスルー諸島で採取され各地に運ばれました。タカラガイは2種類あり上級のキイロダカラと2級品のハナビラダカラです。
刀貨(とうか)
春秋戦国時代に入り使用されていた包丁の形をした刀銭になります。主に斉、燕、越などで流通していました青銅貨幣の一種。形状は4種類あり反首刀(はんしゅとう)は重さが40~50gと大きく、中には60gを超えるものもありました。特徴としては先端の首部が反返った形。尖首刀(せんしゅとう)は首部が尖った形で方首刀(ほうしゅとう)は首部が四角い形で円首刀(えんしゅとう)は首部に丸みのある形になります。直線的にも見えるので直刀(ちょくとう)とも呼ばれていました。あとの3つの重さは大きなものは20gで中には10gにならないものもありました。
布貨(ふか)
春秋戦国時代に使用されていた青銅貨幣の一種で形状は農具を模造した耒(鋤)と耜(鍬)系のものがあります。耒系の布銭の中でも尖肩尖足空首布が最も古く柄を差し込む空首部分があり、目釘孔もあります。耜系も空首部分と目釘孔がある方肩湾足空首布が古いものとなります。韓、魏、趙、晋で使用されていました。
蟻鼻銭(ぎびせん)
戦国時代に楚の国で使用されていた青銅貨幣でアリの顔に似ているところからこの名になったとも言われています。形は楕円形。
圜銭(かんせん)
戦国時代の中期、秦、韓、魏、趙などで使用されていた青銅貨幣の一種で形は円形で中心に丸や四角い穴が空いています。
半両銭(はんりょうせん)
秦の始皇帝が統一貨幣として作ったのが半両銭になります。重さが当時の使われていたものより半両だったのでこの名前になりました。形は圜銭に似ていますが文字が半両と刻まれています。
五銖銭(ごじゅせん)
漢の武帝時代から発行された貨幣で紀元前118年から739年と最も長い間、発行されていた貨幣。五銖は重さの単位で貨幣の重量を五銖としました。半両銭に比べて重量をもたせ外周(両面)と内孔(背面)に縁取りのある形にしたのが特徴です。文字は、五銖と刻まれています。
開元通宝(かいげんつうほう)
唐時代、武徳4年(621年)初代皇帝高祖が鋳造された貨幣で約300年近く流通した銅貨幣です。統一貨幣とされていた五銖銭に替わる通貨とされていました。形は半両銭や五銖銭と同じ円銭で真ん中に四角い穴があり文字は開元通寶(開元通宝、かいげんつうぽう)と刻まれています。708年8月29日(和銅元年8月10日)、日本で鋳造された和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)は開元通宝がお手本となっています。
宋銭(そうせん)
宋時代に鋳造され銅貨幣。鉄銭も鋳造されていましたが圧倒的に銅銭が多く使われていました。12世紀後半日本で宋銭の流通が本格化しました。時の権力者、平清盛が平氏政権の政権基盤の財政的のため日宋貿易を振興し宋から大量の宋銭を輸入して国内で流通させました。
明銭(みんせん)
明朝時代の銅貨幣。日本は鎌倉、室町幕府時代は銭貨の鋳造技術が備わっていなかったため中国などからの銭貨を輸入し国内で流通させていました。
清朝銭(しんちょうせん)
清朝銭はたくさんの種類があります。順治通宝(じゅんじつうほう)、乾隆通宝(けんりゅうつうほう)、嘉慶通宝(かけいつうほう)、宣統通宝(せんとうつうほう)をはじめ咸豊通宝(かんぽうつうほう)と歴代ごとに鋳造されました。咸豊通宝は非常にたくさんの種類があり咸豊元年(1851年)から10年間発行されていました。
世界で最初の紙幣について
世界初の本格的な紙幣は中国で生まれました。10世紀の北宋時代、中国で作られた『交子』だと言われています。当時、中国では紙を作る技術と大量の紙に絵柄や文字を記す製紙技術が発明されましたので世界初のお札が生まれたのも中国になります。紙を発明したのは蔡倫(さいりん)という人物です。105年頃、麻くず・樹皮・魚網を水に溶かして、これをすき紙が出来ました。当時は紙を作る技術はとても貴重だったため海外にはなかなか伝わりませんでした。
咸豊重宝
中国古銭は人気ですが今回は希少性の高い咸豊重宝について少しお話させてもらいます。
中国、清時代、咸豊元年(1,851年)から発行が開始された小平銭(1文銭)より額面の高い咸豊通宝として1,855年から発行が始まりました。
種類も非常にたくさんあり額面としては当五銭(五文銭)、当十銭(十文銭)、当五十銭(五十文銭)、当百銭(百文銭)、当千銭(千文銭)と数多くあります。
額面の表示、表側には「咸豊重宝」、「咸豊通宝」など刻まれていて裏側には鋳造場所が満州文字で刻まれています。裏表記は年代ごとに文字の書体や大きさもさまざまなので咸豊通宝は種類が多い銭貨になります。大きいものになると8cm近いものもあります。買取りの評価は額面の大きさや鋳造場所や状態によって数十万~高価買取されることもあります。

価値
中国貨幣は殷時代の貝貨から始まり刀銭、布銭、魏鼻銭、圜銭、半両銭、五朱銭、開元通宝、宋銭、明銭、清朝時代の清朝銭と長い歴史があり時代の流れでさまざまな種類の古銭や古紙幣が世の中は存在します。
査定の基準は保存状態が良いもの、サイズや重量、時代、鋳造所、発行枚数などになりますが中国古銭は種類が非常に多いため、きちんと評価が出来る買取り業者を選ばないと買取り価格にも差が出ます。お持ちの古銭の状態が良くなくても査定の時はそのままの状態でお持ちください。錆や汚れを取ろうと磨いてしまったりするとキズが付いてしまって評価が下がる恐れがあります。
状態の悪いものでも高く評価されるものもありますのでそのままの状態でお持ちになることをお勧めします。
中国古銭の中にはプレミア価格の付く古銭もあり数十万から数百万円の価格がつくのも数多く存在します。例としてプレミア古銭は清朝時代の『咸豊通宝』高い額面の『咸豊重宝』明朝中期時代の『天啓通宝』明朝時代『永楽通宝』・『刀銭』『空首銭』『永通萬国』などまだありますが、お客様の家に眠っている中国古銭の価格を知りたいという方も是非お持ち下さい。中国古銭は知れば知るほど奥が深く査定で金額が付けば尚ワクワクします。
まとめ
今回は、中国古銭についての内容でしたが中国古銭に限らず、現在の中国は経済成長率が著しく中国人富裕層が昔の古い中国の美術品や骨董品や切手、お皿、昔中国旅行で日本人がお土産買ってきたお酒など中国のものを買い集めているという現象が起きているため中国の品物は今、熱く需要があるため買取り評価にも期待が持てます。
そのため、買取り価格が高く付くかもしれません。
店頭にもっていくのは大きくて大変だからとか、ついでに他の品物も見てもらいたい、引っ越しや遺品整理するから処分する前に査定してもらいたいから家に来てもらいたいななどありましたらお気軽にお電話下さい。
『ゴールドパーチェス駒沢大学駅前店』知識のある経験豊富な鑑定士が直接ご自宅へお伺いし、査定から買取りまでを行う《出張買取り》も行っています。
査定・相談は無料です。お客様からのお電話・ご来店を心よりおまちしています。